町中華というものが近頃注目されているが、忘れちゃいけないのが「町ヤキニク」だ。
そう、町の商店街に、1軒は必ずあったヤキニク屋さん。
「和牛」「A5ランク」「一頭買い」「塩で食べろ」なんてことは言わない。
肉はあらかじめタレに漬け込まれているから、どの部位も結果的に同じ味だったりするのだが、 そんな町ヤキニクを、僕はたまに無性に食べたくなる。
お盆真っ盛りの東京・町屋。
その日は某紙の酒場取材のために訪れた。
地下鉄の車内はガラガラ。
酒場も休みなんじゃないか……と思って地上に出ると、意外と賑やかな駅前の様子にいささか拍子抜けした。
家族連れが多い、なるほどここは東京の”地方”なのだ。
ディープな酒場に潜入するその取材、目星をつけていた怪しいスナックが営業中なのを確認して、まだまだ時間が早いので、どこかで飯でも食っておくことにした。
ぶらぶらと飲み屋街を歩いているうちに、道の外れに見つけたがこの店だ。
黄色に赤い字で焼肉と書かれた看板、●●苑という店名もクラシックでいい。
そして入口ドアのアクリルの紫色が、夜の繁華街でスタミナ満点のヤキニクを食べる事がどういうことか教えてくれているよう。
ここにしよう。
”手動ドア”と書いた扉を開けて中に入ってみた。
若い男の客がこちらに背中を向けて食事をしている。
その男と親しげに話をするサザエさんヘアーの痩せたおばさんと、おそらくその母であろう白髪混じりの老婆が一斉にこちらを見た。
「え?客?しかも知らない顔」と言いたげな怪訝な表情を一瞬浮かべる。
こういう常連客で持ってるような店に飛び込んだ時のお決まりのパターンだ。
こういう時、変におどおどしていると怪しまれるので、さりげなく「一人ですけど」と声をかけながら、 厨房から一番離れた入口ドア脇のテーブル席に座った。初めての店に対して遠慮を示す意味もあるが、店内全体を見渡せるポジションでもあるのからだ。
店内は左半分がテーブル、右半分が上がり座敷、奥に厨房。上がり屋敷の仕切りの向こうにも座敷があるが、基本的に店主の控え場所のようだ。薄型テレビには志村けんのバカ殿が流れていた。
まずは飲み物。コーラ、うめ酒、酒、ビール、サワー、にんにく酒、にんじん酒のみ。コーラを先に書いていることからして、あまり酒を売る気がないようだ。
ビールは当然瓶しかない。しかも、中途半端にぬるい。このアバウティ感、これぞザッツ街ヤキニク!
ヤキニクの前の前菜的なもの=ニク前を頼もう。刺身メニューとして豚足、いかサシ、子袋サシとあるが、この店の雰囲気、真夏のみぎりにさすがに刺身系は憚られた。もちろん火は通っているだろうが……。キムチとナムルか。ナムルはお通しで出たから、キムチだけにした。
ついでに焼き物も頼んでしまおう。次もあるから長居をするつもりはない。さと食べてさっと出る。一人町ヤキニクの流儀だ。
メニューは、ホルモン、レバ、豚ロース、豚カルビ、鶏もも、子袋、いか、カルビ、ロース、上ミノ、上カルビ、上ロース、豚タン塩、ねぎ、野菜、のみ。
豚、鶏、牛がごちゃまぜになっているのも、東京の町ヤキニクならではだ。ホルモンの部位にまでこだわるのは、朝鮮系の店か、ホルモンブーム以降の新規店だ。
ロースなどの正肉についても同じで、カイノミやトモサンカクなどの文字をメニューに探してもあろうはずがない。男はシノゴの言わず黙って食えという時代の雰囲気が、まだ町ヤキニクには残っている。
ホルモンと上ロースを頼むことに。が、「上は今日は無いのよ」というのでロースに訂正。
内蔵系がかぶるが 「柔らかくておすすめ」と言うのでレバも追加。刺身と同じ理由でちょっとリスキーだったが、ここはチャレンジだ。
まずはホルモンとレバーが1つの皿に盛られてやってきた。街ヤキニクの皿としては他にアルミ製もあるが、あれはなんとなくギラついた感があるが、白い陶器の皿は家庭的な雰囲気を醸し出している。
テーブルに作り付けられた横長のガスバーナーも町ヤキニクの定番だ。柔らかいホルモンは、鉄板の隙間からこぼれ落ちそうになるのを注意しながら焼く。流行りのホルモン系焼肉のホルモンは、落ちた油に火がついてすぐに煙がもうもうになってしまうが、こちらのホルモンはそんなことはない。 脂肪は少なめ。そしてムニュムニュとなかなか噛みきれない弾力。脂の多いとろけるホルモンに慣れている向きには、まるでゴムを食べているようだろうが、この歯ごたえこそ街ヤキニクのホルモンの醍醐味。噛めば噛むほど味が出る。やわらかければうまいと思っているうちはまだ子供だ。
レバーは打って変わってふんわりと柔らか。ホルモンとの歯ごたえの落差が鮮やかだ。なるほど町ヤキニクの極意は”歯ごたえ”と心得たり。
レバーは思ったより臭みもなく……いや、ほどよくあった。有機物は全て匂いを発する。人間もそう。匂いのしない女なんて、グラビアや動画の中にしかいない。
肉にはしっかり下味がついているが、小皿のタレにつけて食べるとまた味が変わる。輪郭がはっきりすると言うか。ただのしょっぱさ以上の深みを感じる。
やがてロースが来た。こちらもしっかり下味がついている。 いさぎ良いほどの脂のなさ。おそらく上ロースには少しサシが入っているのだろうが、むしろ並ぐらいが丁度いい。昔のロース肉はみなこんな感じで、タレの味で食べさせるものだった。
ああ、白ご飯が食べたくなるのが町ヤキニクの七不思議。一瞬ライスを頼もうか迷ったが、40過ぎの体にヤキニク&炭水化物は愚行だ。
酒は2杯目はレモンサワーに。いかにもコンクという甘ったるい味だが、焼肉の甘塩しょっぱい味と絶妙にマッチ。
最初は3皿で足りるかどうかと思ったが、量以前に塩分が飽和状態に至ったようで、ちゃんと満腹感は味わえた。
しばし食後の余韻に浸る。
最初にいた客はすでに帰ってしまった。
店内に客は自分一人。
テレビでは志村けんがタクシーの運転手コントをやっていた。
それを見て店の老婆がケタケタと笑う。
30分前にふらっと入ってきた赤の他人がすぐそこにいるのに、 なぜこんなに自然体で笑えるのか……。
長年の商売で、自分と他人の垣根のようなものが消えてしまったのだろうか。
その点娘(ということにしておこう)はまだ警戒心を外してはいない。母親の域に達するにはまだまだ時間が必要というわけか。その域に達したいかどうかは別の話だが。
お会計。
「美味しかったです」と老婆に伝えると、満面の笑顔を返してよこした。そして……
「お兄さんどこの生まれ? いい男ねえ」
お婆ちゃん、いや、お姉さん、また来ます。
そして町ヤキニクの灯りは、今日もともり続ける……。
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