夕陽スポットは数ありますが、「聖地」とまで言われる場所はそう多くありません。
今回は、島根県さんのご招待で、6/21(水)〜23(金)にかけて、古代神話の時代から"夕陽の聖地"と言われている「出雲」地方を旅してきました。
(出雲市作成のチラシより転載)
島根半島の西端に位置する出雲の海岸線には、出雲神話の舞台となった「稲佐の浜」と「日御碕(ひのみさき)」があります。
そこから見る夕日は絶景とされ、しかも夕日にちなんだお社である「天日隅宮(あめのひすみのみや)」(出雲大社)と「日沉宮(ひしずみのみや)」(日御碕神社)が祀られています。
これは、古来から大和の北西にある出雲が、日が沈む聖地として認識されていたから。
なぜ、出雲は夕陽の聖地なのでしょうか?
それは、
〈日が沈む先=黄泉の国〉
とされ、古代の人々は夕日を神聖視し、畏敬の念を抱いたのです。
夕陽が沈む出雲は、いわば黄泉の国の入り口。
だから、出雲は「夕陽の聖地」と呼ばれているのです。
《一つ目の夕陽スポットは……》
さて、最初の夕陽スポット「稲佐の浜」にやってきました。
波打ち際にお団子のように鎮座しているのが「弁天島」。
地元出身のブロガー西村愛さんによると、昔はこんな風に砂浜が島まで続いてはいなかったのだそう。
潮の流れの変化で、砂が堆積してしまったようです。
でも、こういうのも、なかなかいいですね。
まるで植田正治の写真です。
夕暮れ時にはこの弁天島がシルエットになり、幻想的な光景が広がるというのですが、今回は陽の沈む位置がずいぶんと外れているため、期待通りの光景は見られないとのこと。
夕陽撮影はタイミング勝負。
今回は、ここ稲佐の浜での撮影は断念しました。
ちなみに、この稲佐の浜は「国譲り神話」の舞台とされています。
ここでオオクニヌシは自身の霊が住むための宮=出雲大社を築くことを条件に国譲りを承諾しました。
この浜から東へ 1km ほど離れた場所にあるのがその出雲大社。
実は、『日本書紀』では出雲大社は「天日隅宮」と記されています。
古くから出雲地方が日が沈む聖地とされていた証拠です。
今でも旧暦 10 月 10 日の日没時には、出雲大社の神職が全国から参集される八百万の神々をお迎えする「神迎神事」がこの稲佐の浜で執り行われます。
海岸から少し内陸に入った住宅街には、出雲神社末社の下の宮がありました。アマテラスを祀っています。
こちらは出雲大社摂社の上宮。スサノオを祀っており、八百神が会議をする場所だそう。
こういう神社がさらっと住宅街の中にあったりするのが、出雲らしいですね。(東京なら大げさに祀っちゃいそう。出雲では普通なんでしょう)
《まるでジェラシックパークの世界!》
場所を移動しましょう。
稲佐の浜から海岸線に沿って車で15分ほどの「日御碕」です。
同行したブロガーのクマちゃんこと夕陽ハンターの熊山准さんが"夕陽アプリ"で調べてくれたところ、 この場所が本日ベストの「夕陽スポット」と判断したからです(夕陽アプリなんてあるのね……)。
ただし、日没までまだ時間があります。
そこで、海岸沿いを散策してみることにしました。
日御碕は、その名が示すとおり、古くから「日」に縁がある岬として広く知られていました。
その風光明媚な風景は「出雲松島」とも呼ばれています。
おっと、申し遅れました。こちらは、今回の旅の友、オオクニヌシ君。
断崖絶壁に明治36年に建てられたのが「出雲日御碕灯台」です。 高さは43.65mと日本一。海面から灯塔の頭上までは63.30mだそうです。
その風光明媚な風景は「出雲松島」とも呼ばれています。
おっと、申し遅れました。こちらは、今回の旅の友、オオクニヌシ君。
断崖絶壁に明治36年に建てられたのが「出雲日御碕灯台」です。 高さは43.65mと日本一。海面から灯塔の頭上までは63.30mだそうです。
今なお現役で、外壁は松江市美保関町から硬質の石材を切り出して使用した美しい石造り。
内壁はレンガ造りで、外壁と空間をあけた特殊な二重構造です。
風が強いせいか、松の木がこーんなに曲がってる!
"奇岩"も日御碕の名物。
まるで恐竜のウロコ!
楳図かずおの「漂流教室」で描かれた未来の新宿の高層ビル群みたい!(知らないか!)
「あ〜、なんかゴツゴツしてて、気持ちいいわ〜」と、オオクニヌシ君もご満悦?
さらさらに歩きましょう。
日御碕の西側に、たくさんの経巻が固まってできたという伝承が残る「経島」(ふみしま)が現れました。
日本でも数少ない、ウミネコの繁殖地です。
他には、青森の「蕪島」が有名ですね。
蕪島は陸続きで、頂上に蕪島神社があり、いつでも参拝できるのですが(ウミネコの糞がつくと"運がついた"ということで、証明書がもらえます)、この経島は、一般人は一切上陸することができません。
取材時は、島で生まれた赤ちゃんウミネコが、飛び立つための練習の真っ最中。(ちっちゃいですけど、上の方にウミネコが集まっています)
動画がこちら。
"奇岩"も日御碕の名物。
まるで恐竜のウロコ!
楳図かずおの「漂流教室」で描かれた未来の新宿の高層ビル群みたい!(知らないか!)
「あ〜、なんかゴツゴツしてて、気持ちいいわ〜」と、オオクニヌシ君もご満悦?
さらさらに歩きましょう。
日御碕の西側に、たくさんの経巻が固まってできたという伝承が残る「経島」(ふみしま)が現れました。
日本でも数少ない、ウミネコの繁殖地です。
他には、青森の「蕪島」が有名ですね。
蕪島は陸続きで、頂上に蕪島神社があり、いつでも参拝できるのですが(ウミネコの糞がつくと"運がついた"ということで、証明書がもらえます)、この経島は、一般人は一切上陸することができません。
毎年 8 月 7 日に行われる「神幸神事」の時だけ、近くの日御碕神社の神職が上陸できます。
取材時は、島で生まれた赤ちゃんウミネコが、飛び立つための練習の真っ最中。(ちっちゃいですけど、上の方にウミネコが集まっています)
動画がこちら。
鳴き声がすごいですね。
春先から夏にかけての季節限定の光景です。
さらに海沿いを歩き、漁港に降りると、すぐそばに「日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)」がありました。
こちらには、スサノオを祀る「神の宮」とアマテラスを祭神とする「日沉宮」(ひしずみのみや)があります。
普通はアマテラスは"日の出"の太陽神ですが、ここ出雲では"日の入り"の夕陽の神様です。
こちらがアマテラスを祭神とする「日沉宮」。
現在の建物は、徳川家光の命により作られた権現造り。
日光東照宮と似た朱色の豪華絢爛な建物は、地味な社殿が多い出雲では珍しいかも。
さらに、今回は見られませんでしたが、日御碕神社の南東の高台には「月読社」(つきよみしゃ)という神社がひっそりと佇んでいるそう。こちらにはアマテラスとスサノオの兄弟神であるツクヨミがまつられています。
この3兄弟を、"三貴子"といい、近接して祀るケースは全国でも珍しいそうです。
日沉宮の装飾をよく見てみると……
月も描かれています。
左側は星ですかね?
もちろん真ん中は太陽。
なんかロマンチックです。
日沉宮の装飾をよく見てみると……
月も描かれています。
左側は星ですかね?
もちろん真ん中は太陽。
なんかロマンチックです。
《いよいよ夕暮れ時……》
さて、そろそろ夕刻が迫ってきました。
ベストの夕陽撮影ポジションを探します。
日御碕は「出雲松島」と言われるだけあって、松越しもいいですね。
奇岩に月の道ならぬ夕陽の道がつながったパターン。
同行した出雲女子のブロガー西村愛さん越しに一枚。
刻一刻と空の色が変わり、紫がかったイイ感じになってきました。
いろいろ歩いてみましたが、やはり灯台越しに撮るのが良さそう。
地元のプロカメラマンも同じ場所でスタンバってました。
約15分あまりの夕陽ショーを、カメラ片手に、固唾を飲んで見守りました。
改めてになりますが、『古事記』や『日本書紀』では、出雲が「黄泉の国」と「地上世界」をつなぐ地として描かれています。
さて、そろそろ夕刻が迫ってきました。
ベストの夕陽撮影ポジションを探します。
日御碕は「出雲松島」と言われるだけあって、松越しもいいですね。
奇岩に月の道ならぬ夕陽の道がつながったパターン。
同行した出雲女子のブロガー西村愛さん越しに一枚。
刻一刻と空の色が変わり、紫がかったイイ感じになってきました。
いろいろ歩いてみましたが、やはり灯台越しに撮るのが良さそう。
地元のプロカメラマンも同じ場所でスタンバってました。
約15分あまりの夕陽ショーを、カメラ片手に、固唾を飲んで見守りました。
改めてになりますが、『古事記』や『日本書紀』では、出雲が「黄泉の国」と「地上世界」をつなぐ地として描かれています。
これは、古代の人々が出雲を「日が沈む地」とイメージしていたから。
現在でも、出雲地方では夕暮れ時の挨拶として
「ばんじまして」
という方言が使われているそう。
「こんにちは」と「こんばんは」の間の言葉で、夕陽に特別な思いを抱く出雲地方ならではの風習です。
そんなことを思いながらシャッターを切った一枚がこちら。
"ばんじまして"な一枚になった思うのですが、いかがでしょうか?
〆
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