今年の大河ドラマは「おんな城主 直虎」。

戦国時代に実在した、女城主が主人公です。

実は同じ戦国時代、ドラマの舞台である現在の静岡県浜松市から80㌔ほど北の現岐阜県恵那市に、もう一人、女城主がいました。

その名は「おつや」。

織田信長の叔母でありながら、最期は信長自身に殺された悲劇のヒロインです。

城は日本三大山城の一つ「岩村城」。 

場所はココ

これじゃわからないですね。
もう少し引いてみましょう。

名古屋からJR 中央本線の特急で恵那まで1時間ほどかけて行き、恵那からは明知鉄道というローカル線で30分ほど行くと、最寄りの岩村駅に着きます。

そこから岩村城の麓までは歩いて30分ほどです。

岩村城、独特な形の石垣と、霧の多さから、〝東濃のマチュピチュ〟とも呼ばれているんてす。

いったいどういうお城なんでしょうか?

また、おつやの方とは、どんな女性だったのでしょうか?

知られざる〝もう一人の女城主〟の城を登ってみました。
 
《日本三大山城を"登る"》
 
標高717㍍。

おつやが城主を務めた「岩村城」は、日本一高い場所に築かれた城郭で、岡山の「松山城」と奈良の「高取城」と並ぶ日本三大山城の一つといわれています。

山城とは山の地形を利用して築いた城のこと。

つまり、登るの大変そ〜〜、ということ。

一人だと遭難の恐れがある(大げさ!)ので、恵那市観光協会岩村支部・観光ガイドの伊藤邦弘さんにご案内いただき、ライターのKさん、PR会社のFさんと一緒に山頂の本丸を目指しました。

まずは、一の門までの最初の道「藤坂」です。
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初代城主・加藤景廉の妻・重の井が輿入れの際、生まれ育った紀州藤城村から持ってきた種から育てたというフジの大木から名付けられました。

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なだらかに見えますが、けっこう急勾配です。

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いざという時、敵がまっすぐ登ってこれないよう、うねうねとしています。

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かつては、江戸時代に植えた杉の大木がたくさん生えていたそうですが、戦時中に物資といて伐採されてしまったそうで、今は細い木しか残っていません。

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鬱蒼とした杉林を抜け、「一の門」に辿り着いた頃には、早くも息がハアハアと上がってしまっていました。

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ガイドの伊藤邦弘さんいわく「まだまだ! さらに上には、二の門、三の門がありますよ」

ひえ~!

しかし辛いのは当然。

山城は籠城を目的とした〝守りの城〟。

簡単に登れたら意味がありませんからね。

まさに今、山城の本質を、自らの足腰で実体験しているわけです(いい訳?)


≪美しさが悲劇の引き金だった?≫

さて、時間を800年ほど戻しましょう。

岩村城は、1185年に源頼朝の重臣「加藤景廉(かとうかげかど)」が築きました。

その後、13世紀初めには、息子の景朝が遠山氏を名乗り、その居城としました。

城の場所は、三河(愛知)と信濃(長野)の間。

戦国時代になると、覇権争いの要衝となります。

武田氏と織田氏は、この岩村城が欲しくてたまりません。

そこで織田信長は、叔母(父の妹)のおつやを、岩村城主・遠山景任(かげとう)に嫁がせます。

悲しいことですが、当時の武家の女性は、男たちの国取りゲームの駒にされるのが当たり前でした。

結婚してしばらくすると、1572年に景任が病死します。

夫婦の間に子供はいませんでした。

養子となっていた御坊丸(信長の五男)はまだ小さく、城主には時期尚早。

そこでおつやは、女だてらに城を守ることになります。

が、この機を周りの戦国武将が見逃すはずはありません。

武田の家臣・秋山虎繁は、岩村城に攻め込みます。

籠城すること3ヶ月。

城の食糧などは尽きようとしていました。

凋落するのは時間の問題。 

まさに絶体絶命!

すると、おつやは、なんと!

敵である秋山の妻になってしまったのです。

なぜか?

理由はこうでした。
 
「秋山の一目惚れでした」(ガイドの伊藤さん)

おつやの美貌に目が眩んだ敵将の秋山虎繁が、岩村城の養子の御坊丸(信長の五男)に家督を譲るという条件で、おつやに降伏と結婚を迫ったのです。

いや〜〜、どんだけキレイな人だったんでしょう?
 
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これは、観光協会が作ったおつやのイメージ画像です。

実際は肖像画など残っていないので、どんな顔をしていたかはわかりません。 

しかし、敵が結婚したいというくらいだったから、相当な美人だったんでしょう。 

今でいうとだれでしょうか?

旬なところで、逃げ恥の新垣結衣さんでしょうか。

(妄想中)

あ、うん、新垣さんなら、どんな汚い手を使っても手に入れたいかな。はい。

(そんな器量、自分にはありませんが)

昔から実力者は美しい女性を望むようですね。

そういうのを、トロフィーワイフというそうです。

ご褒美の妻。

おつやは、養子と領民、そして岩村城をを守るために、自らトロフィーとなる覚悟を決めたのです。 

しかし、秋山氏は約束を破って信長の五男である御坊丸を人質として武田に送り、おつやと岩村城を乗っ取ります。

それに激怒した信長は、岩村城を攻めます。  

おつやの行為は、信長の目には、裏切りと映ったのです。

しかし、かの信長も、岩村城を攻め落とすには5ヶ月もかかりました。

武田勢の方が3ヶ月と少なかったのは、同じ山岳国なので、山城での戦いに慣れていたともいわれています。

が、ついには力尽きて、岩村城は凋落してしまいました。

織田信長は、敵の秋山のみならず、叔母であるおつやをも裏切り者として、逆さ磔にして殺してしまいます。

ただの磔じゃなくて、逆さ磔って……。

どんだけ頭に来てたか、わかりますね。


≪信長の攻撃に耐えた秘密≫

現代に時間を戻しましょう。

ヘナチョコ探検隊は、岩村城第二の門である「土岐門」までたどり着きました。
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内側は馬出(うまだし)状の曲輪(くるわ)となっています。

馬出とは、虎口(城の戦闘用出入口)の外側に曲輪(小区画)を築いて防御力を高めたもの、だそうです。

私はあまり城に詳しくありませんが、前の大河ドラマの「真田丸」は、この馬出の規模がずーっと大きくなったものだそうです(ざっくりだなあ)。

本丸まであと300メートル!
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どんどん山道っぽくなってきますよ〜

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続いてやってきたのは「畳橋」。
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城の主要部分はへの入り口なのですが、そこに入るには、空堀に架けられた木橋を渡るしかありませんでした。

その橋は、いざという時は、床板を畳のようにめくり、渡れなくできたということです。

だから、畳橋と呼ばれたそうです。

写真の、ちょうど左と右の土塁を渡すように木橋がかかっていました。

こんな感じですかね。

さてさて、見えない畳橋を渡り…

次にやって来たのは「追手門」。
「追手門」は土岐門に続く第三の門で、城の正門です。

城によっては大手門と書く場合もあります。

いわば最後の防御。

追手門の脇には天守に相当する「三重櫓」が構えられていたそうです。


 本丸まであと200メートル!

さらに歩くと、途中、妖しげなオーラを醸し出す井戸がありました。
 「霧ケ井」の井戸です。

敵が攻めてきた時、蛇骨をこの井戸に投じると、たちまち霧に覆われて城を守ったといわれています。

この話はあくまでも伝説ですが、城内には他にも井戸が十数箇所あります。

おかげで、籠城が長期に渡っても飲み水に困ることはありませんでした。

また、標高の高さから、実際に霧が出やすい環境でもありました。

岩村城の異名、「霧ケ城」の名はここから来ています。

この霧が、敵の攻撃に対する煙幕のような役目を果たしたんですね。

「井戸」と「霧」。

この二つのおかげで、当時の二大強国だった武田氏と織田氏の攻めに、続けざまにそれぞれ数ヶ月も耐えることができたのです。

井戸には実際に水が湧いていました。

時は流れても、水脈が絶えることは無かったんですね。

それだけ、水が豊富なんでしょう。

さて、いよいよ本丸が近づいてきました。

こちらは「菱櫓」と呼ばれる建造物です。

地形に合わせて石垣を積んだため、菱形になっているそうです。
菱形かどうかはドローンでも飛ばして真上から見ないとわかりませんが、自然の崖の形に沿って、石垣もなだらかにカーブしていることは分かります。

そして、坂を登ること30分、ようやく本丸の手前まで到着しました。 
これは「六段壁」と言われる石垣。

確かに、マチュピチュっぽいですね!

これで霧が出てれば最高なんだけど。


そして、こちらが「本丸」!

ようやく着きました!

今は何もありませんが、当時は納戸櫓など、たくさんの建物が建てられていたそうです。

ここにも井戸がありました。
ちゃんと「井」って文字になってますよ。

100円を入れると自動音声で解説が流れる機械がありました。

100円入れて聞いてみましが、内容は以下の説明書きような感じでした。  

石垣マニア必見の場所が!

「野面積み」「打ち込みハギ」「切り込みハギ」の3種類の石垣の積み方が一度に見られる珍しい場所です。

ぜひタモリさんに教えてあげたい!

向こうに見えるのが恵那山。
まさに天空の城。

寒くて風防帽をすっぽり被っている同行のライターKさん。

やっぱ山は寒い!

ここで、おつやは5ヵ月も織田軍の攻めに耐えたわけです。

水はともかく、食糧とかどうしたんでしょうね。

山の狸でもとって食べたんでしょうか。

いつ終わるともしれない長期戦。

食糧が尽きるのが先か、攻め込まれて皆殺しにされるのが先か…。

考えるだけで、気が狂いそうです。

おつやは最期、信長に対して、

〝一代限りで滅ぼしてやる〟

と呪いをかけて死んで行ったそうです。

そりゃ、良かれと思ってやったのに、裏切り者にされたんじゃ…。

いまでいう、モンスター上司ですね。

その6年半後、信長は本能寺でその通りになります。

いや、女性の恨みは恐ろしいっス…。

(次回は、江戸時代になって栄えた岩村の城下町について紹介します)

※日刊ゲンダイに掲載した記事を大幅に改変
※データ等は取材時のものです ※そのほかの現地情報は「#岐阜いわむらうれしー」でインスタグラムやツイッターを検索 
※同じく岩村を取材したブロガー、西村愛さんの記事はこちら→http://love.exblog.jp/23708702/