「破戒」「夜明け前」などで知られる自然主義作家、島崎藤村。
彼の作風に大きな影響を与えたとされるのが、長野県小諸市です。
私塾の教師として赴任し、結婚・子を生み育て、退職するまで、6年間を過ごしました。
滞在中に書き留めた「千曲川のスケッチ」には、美しい風景や素朴な人々とのふれあいが描かれています。
そんな藤村ゆかりのスポットを巡る1泊2日のプレスツアーに、昨年の12月7日と8日に行ってきました。
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明治5年に、現在の岐阜県中津川市に生まれ、東京の大学を出た島崎藤村。
明治32年に、大学時代の師である木村熊二の誘いで、私塾「小諸義塾」に国語・英語教師として赴任しました。
そして、その年のうちに結婚し、所帯を持ち、翌年には長女が生まれています。
結局藤村は、小諸で3人の娘をもうけました。
職場であった小諸義塾は、現在のJR小諸駅の裏手、小諸城三の丸の付近にありました。
小諸城は、城下町より低い場所に城郭がある珍しい"穴城"。
藤村が赴任の翌年に発表した「千曲川旅情の歌」に詠われ、全国的に知られたそうです。
この「藤村記念館」は、懐古園入園券で入場できます。
小諸城は、城下町より低い場所に城郭がある珍しい"穴城"。
藤村が赴任の翌年に発表した「千曲川旅情の歌」に詠われ、全国的に知られたそうです。
駅の高架下をくぐって、小諸城址の「懐古園」(入場料500円)をぶらり散策してみました。
JR小諸駅から懐古園に行くには、駅の高架の下をくぐります。
これが三の丸の門"三の門"跡
園古懐、じゃなくて、右から左に、懐古園と読みます。
入り口にはアニメの看板。小諸を舞台にしたアニメだそうです。最近の観光地にはこういうのが多いなあ。苦手な人間には、どうもな〜という感じです。
大手門から三の門、二の丸、本丸と、本来なら上がっていくべき場所を、ゆるゆると"下って"いくのは、なんとも妙な気分です。
JR小諸駅から懐古園に行くには、駅の高架の下をくぐります。
これが三の丸の門"三の門"跡
園古懐、じゃなくて、右から左に、懐古園と読みます。
入り口にはアニメの看板。小諸を舞台にしたアニメだそうです。最近の観光地にはこういうのが多いなあ。苦手な人間には、どうもな〜という感じです。
大手門から三の門、二の丸、本丸と、本来なら上がっていくべき場所を、ゆるゆると"下って"いくのは、なんとも妙な気分です。
星野源演じる徳川秀忠(家康の息子)がこの城の二の丸で陣を張り、上田合戦を戦いました。
昔はここから上田城が見えたそうです。
長野だからですかね?(バカ丸出し)
知っている人いたら教えてください
天守閣の手前に「藤村記念館」がありました。
藤村が小諸で過ごした6年間の軌跡をパネルで説明。
貴重な初版本や、小諸時代に愛用していた茶器などの日常品も展示されています。
唱歌の「椰子の実」も、藤村の作詞なんですね
破壊、じゃなく破戒ですよ
館長の川原田雅彦さんは、「藤村は小諸滞在中に詩人から小説家への転換を図り、実際に原稿も書き始めている。小諸は彼の作家活動に大きな影響を与えた場所」といいます。
その藤村は小諸を去った後、東京・西大久保に居を構え、かの名作「破戒」の完成を目指しました。
藤村が小諸で過ごした6年間の軌跡をパネルで説明。
貴重な初版本や、小諸時代に愛用していた茶器などの日常品も展示されています。
唱歌の「椰子の実」も、藤村の作詞なんですね
破壊、じゃなく破戒ですよ
館長の川原田雅彦さんは、「藤村は小諸滞在中に詩人から小説家への転換を図り、実際に原稿も書き始めている。小諸は彼の作家活動に大きな影響を与えた場所」といいます。
その藤村は小諸を去った後、東京・西大久保に居を構え、かの名作「破戒」の完成を目指しました。
おいらの娘と同じ歳ですよ。
そして、妻のふゆも、その4年後に、四女出産の時の出血で死んでしまいます。
それ以後、藤村は"シングルファザー"として、4人の子を育てながら、執筆活動を続けます。
左端が藤村。右端が四女。
苦労したんですね。
そして、妻のふゆも、その4年後に、四女出産の時の出血で死んでしまいます。
それ以後、藤村は"シングルファザー"として、4人の子を育てながら、執筆活動を続けます。
左端が藤村。右端が四女。
苦労したんですね。
同じ父親の身として、同情してしまいます。
この「藤村記念館」は、懐古園入園券で入場できます。
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藤村記念館を出て、またぶらぶら歩きました。
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